思い・・
ふー、やっと論文投稿、昇格試験、出張と立て続けに続いた嵐を切り抜けて
”夏休み”と言う長い休みを取れることができた。
この間に、今思っていることを整理しようと思っていたのだが、なかなか考えがまとまらない。
と言うことで、しばらくこの日記はオイラの内面への問いかけになります。
まず、オイラの夢は”米国に移住すること”
できれば、コロラド州ボウルダー (只今、ジョンベネちゃん事件でホットな所です。)
なぜ?ボウルダーなのか?
それは、数年前に長期出張で滞在した時に、まさにオイラが心に描いていたアメリカの風景があったから・・・
すぐに「ここに住みたい」と強く思ってしまった。ほとんど直感的。
では、なぜそんな風景を心に描いていたのだろう・・・
なぜ?昔から、漠然と海外に、特にアメリカに住みたかったのだろう・・・
なのに、なぜ?オイラは、もっと若いうちに留学とか行動をなにか起こせなかったのだろう・・・
そんな、いろんな事を考えていると、一つの思い出に行き着きました。
それは、今は亡きおじさんの思い出おじさんは、オイラの母ちゃんの姉ちゃんのだんなさん。夫婦には子供がなく、
また、オイラの父ちゃんは、サービス業なので土日が休みではないため、家が近かったおじさんによく休日に遊んでもらった。
ある意味、お父さん的な存在なおじさん。
そんなおじさんは、なんと7ヶ国語(酔っていると10ヶ国語がOKなんだそうです。酔拳みたいなもんか?)をあやつり小さな貿易会社を経営していた。(あの当時では珍しいトライアスロン専用自転車の輸入や選手のスポンサー、家庭用浄水器の輸入なんかやっていました。←ドイツから日本初ってよく自慢していました。)
そんな関係で、おじさんの家には海外からのゲストが頻繁に来ていた。
ドイツ人、アメリカ人、イギリス人、アフリカの人・・・
とにかくいろんな人が来てたなぁ〜
子供心に、ドイツ人は怖かった記憶がある・・。
ドイツの方に「チョコレート買って来て」と、多分ドイツ語で頼まれた時に、なぜだかオイラは「鮭なんとか」と聞こえて、鮭フレークをかって来たら
すごい顔で鮭フレークを睨んでた。マジ怖かった。
その後も、鮭フレークを握り締めながら、「鮭なんとか」と連呼していたが、それがチョコレートわかるまでの時間は本当に恐怖だった。
ドイツ語でチョコレートってどんな発音なのだろうか?
オイラは、そんな海外のゲスト方々と共に、
おじさん夫婦たちと、日本観光について行ったり、パーティーに参加したり
わりと海外の空気を、子供時代に感じることができた。
小学生の頃は、漠然とおじさんの会社で働こうと思っていた。
おじさんの話してくれる、海外での仕事の話が大好きで仕方がなかった記憶がある。
おじさんを、よく伊丹空港に迎えにいったが、いつかオイラも飛行機でアッチに行きたいといつも思っていた。
たぶん、海外に強い関心ができたのも、この頃だ。
そんな、尊敬するおじさんも
オイラが中学生の時に癌で他界してしまった。癌とわかってから、亡くなるまで数ヶ月しかなく、結局一度も入院中会えなかった。
この事は、今でもオイラの負い目です。
しかし、中学→高校受験と時の流れなのかで、
いつの間にか、オイラの海外への強い関心は薄れていく。おじさんの会社もおじさんが亡くなると、すぐに倒産してしまった・・・
オイラは、英語は好きな教科の一つではあったが、得意な数学と理科にのめりこみ
いつの間にか、自分は理系人間と思うようになっていった・・・
高校進学時には、オイラの海外への強い関心はほとんど薄れてなかったような気がする。
続く・・・